先日の日経朝刊に「外国人CEOがなすべき仕事」というコラムがあった。最近日産、セブン&アイグループ、武田(2人連続)など次々と誕生していることがその背景にあるようだ。
コラムでは「古いしがらみにとらわれないこと」そして、「従来の経営陣にはない経験や着想、そしてグローバルな人脈のすべてを注ぎ、再起の先へ導く」ことが期待されると結ぶ。正論である(ストリンガー氏に対する賞賛は、ぜひソニーの人々に感想を聞いてみたいものだ)。
ただ、それは本当に外国人CEOでないとできないのだろうか?実際「しがらみ」は変革ができない社長を語るキーワードだが、外国人だからできる、日本人だからできないというのはあまりに単純な議論である。
大谷選手の二刀流は日本人かどうかと(おそらく)全く関係ない。オリンピックでメダルを取る日本選手は、世界の99.9%ができないことをやっている。
要は、いい加減にステレオタイプで語るのはやめたらどうだろうと思うのである。それは、発信する側もそうだし、それを読んで単純に受け入れる側も同じである。
CEOは辛い仕事である。だからこそ報酬が高い。「しがらみ」や法律のせいにしてするべき決断をしない、中途半端で終わらせていれば企業の競争力も、CEOとしての実力も上がるわけはない。そして、「それは日本人だから仕方がない」と受け入れているのは我々だと思う。
『戦略の原点』という著書を世に問うたのは約20年前になる。それをベースに著した『The cores of strategic management』は世界中から要望があって昨冬第二版をだした。「考えてみりゃあ」という発想の重要性を指摘したのは西堀栄三郎先生だが、日本がやっと成長フェーズに入った今こそ原点に戻り、色々な考えのベースになるOSをアップデートする時期にあるのではないかと強く思う。

(先日のSMSの一風景)