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手段の目的化:Means or End?

手段の目的化は組織マネジメントのクラスで最も頻繁に触れるイシューの1つである。DXやダイバーシティをはじめとする諸施策コミュニケーションリスキリング、そしてルール…。もともとは目的があって始めたはずが、いつの間にかそのものが目的になっている。

最近のマイナカードと保険証の記事を読んで改めてそう思う。野党の質問もそう。批判は本来の目的をより良く達成するために必要なのだと思うけれど、批判そのものが目的になっている、あげ足を取ることが存在意義だと勘違いしていないかと思われることが多々ある。なんでも釘に見えて叩きたくなってしまうトンカチと同じだ。

確かに、目的と手段はつながっており、ある目的は別の大きな目的の手段だったりする。だからこそ、レンガ職人の例ではないが、最後の目的を分かっているかどうかは大切である。そうでなければ、ぼろぼろのレンガでも積み続けるだろうし、逆にレンガがなくなった時に石で代用をしようという発想は出ないだろう。

弾の来ないところで批判ばかりしている人に「一体、あなたは何がしたいの?」とぜひ聞いてみたい。え、それはお前だって?