90歳近い両親と妹とともに北海道に行った。「一生に一度は知床の観光船に乗りたかった」のだそう。耳も遠くなり、足も悪くゆっくりしか歩けない父親のほうが障碍者手帳を持っている母親よりも老いた感があったが、頭のほうはしっかりしていてこれも驚きだった。
母親はなぜか牛乳が好きで毎朝飲んでいた(夕食には出ないのを残念がっていた)。一方、コーヒーを飲むときは、新鮮な牛乳ではなくスジャータを入れていた。え、なぜ?と思ったが、習慣は無意識だから変えられないのだろう。
しかし、考えてみれば「せっかくだから新鮮な牛乳を入れたほうがいい」というのも単なる思い込みかもしれない。母親にしてみれば、「いつもの味」こそが安心できておいしいのかもしれない。
今回の旅行では、補聴器をつけていてもなかなか聞こえない両親にイライラして怒鳴るような物言いをする自分に罪悪感を感じることが何度もあった。結局、自分の「こうあるべき」を押し付けているだけだったかもしれない。アンコンシャス・バイアスという「馬から落馬言葉」が世界中ではやっているが、無意識というのは気をつけたつもりではだめだと、両親に優しく接している妹を見て考えた。もしかしたら、優しい言葉で誰かを傷つけているかもしれないなあと。