4月もあっという間である。実は5年以上前にも同じテーマでブログを書いた。そこでほぼ言い尽くされている気はするが、相変わらず「何事にも好奇心を持て」「教養が大切だ」と言っている人が多いので、もう少し補足したい。
前回のポイントは3つ。
(1)「好奇心」って「持たないといけない」と言われて、あるいは「持とう!」と思って持てるものなのなんだろうか?短期的にはあるかもしれないけど、長続きするとはとても思えない。
(2)人によって好奇心のテーマも深さも幅も違うのでは?だからこそダイバーシティとか言ってんじゃないの?○○オタクと言われる人は「好奇心の幅が狭い」からダメなんだろうか?
(3)そもそもなぜそういうことを言っているんだろう?個人の人生が豊かになるよ、っていう先人からのアドバイス?残念ながら「転ばぬ先の杖」「よかれとおもって」する(上から目線の)アドバイスがいかに役に立たないかは考えてみれば誰もが身に覚えがあることだと思うし、クラスでも議論する。
欧米の経営者は教養があるからそれに負けないように、という劣等感もあるかもしれない。最近も「日本人経営者は仕事とゴルフの話しかしないからつまらない」という記事を読んだ。ただ、もしそういわれて恥ずかしいと思うのは、実は教養がないからではなく、「それなのに」会社の業績がいまいちだからではないからではないか?
本田宗一郎氏があれだけモテたのは教養ではなく情熱ではないかと思われてならない。「好奇心を持て」とは「自分の好きなことを見つけ、あるいは諦めず、それを生かせる仕事をしろ」というメッセージだとすれば、そこには盛田昭夫氏のあまりにも有名な新入社員への訓示「人生の大事な時期を過ごす場であるソニーが皆さんにふさわしくないと思えば、時間の無駄だからすぐに去ってほしい」という意味もあるはずだ。「好奇心」、言う方は覚悟を持たないといけないし、言われる方はいろいろなことをやってみる(やらされる)ことが大事、っていうと結局ほかのおじさんの言っていることと同じ?