ある大手広告代理店の社長が「価値観の変容」ということで個性が大事、その例として女性のムダ毛処理を扱ったKAIの広告をあげていた。広告はすごいと思ったが発言は?である。「個性が大事だ」と言われて、もう何年経つのだろう?
だからこそ「ゆとり教育」が生まれた。SMAPの「世界で1つだけの花」ですら2002年である。なのに、未だに手を変え品を変え「個性が大事だ」と言われ続けているのはなぜだろうと改めて思う。面白いことに「個性」を意味する英語は見当たらない(indivisuality?違うよね)。
現実には、みんなと同じ、ルールに従ったこれまで通りのほうが楽だからというのがある。自分の意見を出すと、叩かれたりすると恐れている(そうした社会だから個性を出せないのかもしれない)。逆にルールがないところでは、何でもありの「撮り鉄」状態が起きる。
より本質的な問題は、自分の「個性」がわからないことではないか?結局、自分が楽しいこと、我慢出来ないことこそが「個性」だとすれば、周りにあわせていたら、何が好きか、嫌いかもわからなくなる。そして、その傾向は日本という「とてもいい国」に閉じこもっていることで一層強化される。
結局「個性」を出すとは「〇〇でなくてはならない」という思い込みから脱皮することだろう。他人ではなく自分の心に聞いてみるといってもいい。そして、とにかくアクションを起こすことだと思う。実は自分のことはわかっていないことが多い(と、この年になって特に感じる)。
2025年もどうぞよろしくお願いします。