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ルールを守ることは正しいことだが…(続)

陳腐化したルールは変えればよいわけだが、時間もエネルギーもかかる。手段の目的化何度も触れた。「もし何かあったらどうするんだ」という保身、既得権益みえみえの反対が必ず出る。さらに言えば(ダイアナ妃を死に至らしめたパパラッチのように)「ルールがないなら何をしても良い」わけでは無い。

ルールを破ることの副作用も見逃せない。上司が苦渋の決断で1つのルールを破るのを、何も知らない部下たちは「ルールなんて守らなくてもいいんだ」と勘違いするかもしれない。マスコミなどがコンテキストを無視して行う「言葉の切り取り」と同根の現象である。

じゃあどうするんだ、という話。英語ではbreakingではなくbending rulesという言葉もあるが「綾」の域を出ない。思うに、すべてのルール(憲法も!?)には有効期限を設けて、ゼロベースで見直すくらいでないと世の中についていけないのではないだろうか。「ルールを変える」というから問題になるのであって(デフォルト問題)、最初からない前提で考えればだいぶ違うのではないか?

ニセコの朝のゴンドラの列は長くなる一方である。知り合いを見つけて同然のように割り込む人も多い(「暗黙のルール」は日本人だけではない)。驚いたのは「割り込んでから知り合いになる」方式で、やたら話しかけているアメリカ人がいたことである。やはりルールは深い。