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場違いなところで思ったこと:A thought at Noh theater

年をとればとるほど自分が知らないこと、やったことがないことが多くて愕然とする。実はまだ大相撲も見に行ったことも富士山に登ったこともない(ぜひやりたい)。そんなこともあり、さっぱりわからないけれどロックな感じに魅かれてごくたまにお能を見に行く。東京では中学生か高校生の時に済ませているらしいけれど。

佳境の時に写真を撮る人がいた。それも隠し撮りではなく、フラッシュをたき音もたてて2枚。当然のことながら係員が来て、注意される。何も知らない外国人かと思いきや普通のおじさんだった。

アメリカだったら写真没収、退席に間違いなくなる。しかし、言いたいのはそこではない。「マナー違反」は正義の味方のテレビも時々取り上げるけれど、そこにある心根についてである。

今回はさすがに追随する人はいなかったが、「みんなで渡れば怖くない」的なことはよくある。そして、注意されると「なぜ私だけ」と不満を漏らすことも。

そこにあるのは自分の心の中に美意識、つまり「何が格好よくて、何が悪いか」の基準がないということではないか?常に周りに合わせる中で、忖度力は養われても、自立する力は生まれない。リクルートスーツの学生に挑戦を求めても無理なのである「考えろ」とは「周りをよく見ろ」と同義だと思っていたりしないだろうか?

お能が終わると、演者、そして演奏者や地謡の皆さんも粛々と退出される。礼もされないので私はもちろん他のの聴衆もいつ拍手していいのか戸惑っていた。知らないことはまだまだたくさんある。