この言葉にまた出会った。昭和時代を揶揄して「24時間戦えますか」と言うフレーズが時々取り上げられるが、当時を知るものとして思い出すと、「疲弊」なんて誰も言っていなかった気がする。
令和の時代になり、〇〇ハラ、ブラック、ワークライフバランスが盛んに取り上げられるのに、なぜ「疲弊」という言葉が生き残っている(生まれた?)のだろう?
思うに、疲弊とは内部のエネルギーを外部からの負荷が上回るときに起きる。つまり、エネルギーがあれば、相当な負荷がかかっても耐えられる。スタートアップのメンバーが、会社に寝泊まりして狂ったように働いても、その事業に希望がある限り疲弊という言葉は出てこない。当然だが、逆も真なりである。
多くの企業は、内部のエネルギーを無視したまま、外部つまり業務としての負荷を下げることに一生懸命になっているように見える。仕事が軽くなった結果、やりがいもなくなり、結果として内部エネルギーも下がることはないだろうか?だとすれば、経営の努力はただのアリバイ作りになってしまう。
問題は外部負荷ではなくエネルギー、つまり「夢と希望」だという、ベタな結論でした。パーパスとか企業理念とか、本当に役に立ってます?