SMSではパーパスを取り上げたセッションにも出た。1つは「Plenary」つまり「目玉」セッションだった。もう1つは「パーパスはインプットかアウトプットか」と題されてそれなりに有名な先生がパネリストして集まった。
結局のところいずれも途中退出してしまった。「パーパスが企業や社員の行動を規定する」「パーパスと利益を両立させることが大切」「何を言ったかと何を実際にしているかのギャップがある」など、綺麗事が多く、誰でも知っているんじゃない?みたい発言ばかりだったからだ。気持ち悪さを解消してくれるインサイトはなかった。
一方コミュニケーションを題材にしたセッションでは「これこそパーパスの共有に重要だ」と思われる点がいくつもあった。1つは「自分は何者か」つまりアイデンティティ。考えてみればパーパスを話すときにアイデンティティの議論がない方がおかしい。
ただ、アイデンティティは、会社だけでなく、職業、部署、チームといった様々な「レベル」が絡み合うから一筋縄ではいかない。よく話題に上がるナワバリ意識とか不祥事/偽装隠し問題はこのあたりに起因する。場合によっては前職のアイデンティティを持ち越すこともある(「〇〇では」なんて偉そうなことを言ったりするのはそうである)。
当然のことながら、こうしたアイデンティティは各人がバラバラに持っているだけでは組織の力にはならないから、共有されることが重要である。だから「social identity」ということになる。
アイデンティティを共有するために良いのは、経験を共有することである。ただ同じ会社にいるからと言ってアイデンティティが共有できるわけがない。ビジョンにしろパーパスにしろ「明確にしろ」なんて勘違いしている人が多いようである。
もう1つについては次回(今週木曜日予定)。