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海外でのパーティのもう1つの意味:AIBソウルで感じたこと(番外編)

AIBは7万円弱の参加費で毎日のランチと2回の夜のパーティが含まれているので、他の学会に比べ少しお得感がある。海外のパーティなどで日本人ばかりが固まってよろしくない、ということを言う人がいる。半分は正しいと思うが、半分は間違っていると思う。

これは学会特有かもしれないが、日本では会えない人に会えたりするからである。海外にいるということが、日本人同士が知り合うハードルを下げてくれるし、このきっかけが長く続くことも少なくない。

例えば長年香港中文大学にいらして日本に戻られたM先生は高校時代から存じ上げていたが、この世界で再会したのは約20年後。今も学会でしかなかなかお目にかかれる機会がない。シンガポールから帰っていらしたY先生。「日本の大学はめっちゃ楽ですね」と呆れたようにおっしゃっていた。名前は有名だったが今回初めてお目にかかったアメリカにいるT先生には、アメリカの2つの大学の博士課程で苦労したことを淡々とお話しいただいた。感動するとともに自分が恵まれていたこと、そして楽をしていないかと戒める刺激を受けた。

こうした先生方と話ができるのは、お互いに海外で苦労をしてきた共通項があるからだろう。「人脈」「ネットワーク」という言葉が軽々しく使われていることが多いが、ベースになるものがなければ名刺が貯まるだけである。

「海外にPh.D.を取りに行く人がますます少なくなった」というのは共通の嘆き。ネットで情報を得ることと、自分で体験することの格差をどう伝えていくか。グローバルとは(AIが進んだとしても)言語の問題ではない。ちなみに、「固まっている」のは日本人ばかりではない。同僚とずっと一緒にいる欧米の先生もたくさんいる、だからビビる必要なない、なんてことも体験したから言えるのです。