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「ダイバーシティ」と言うのをやめたらどうだろう?(続)

「これだけおじさんをのさばらせたのは、私たちにもちょっと責任があるかも」と家内がぽつりと言った。男性の上司や同僚のセクハラまがいの言動をうまくあしらうのができる女性、と思っていたし、そうしてきた。結果として、女性に対して鈍感な男たちを作ることになり、そのツケを今の若い人たちが払っているのではないかという反省。

同じことは企業の経営でもいえる。「トップが現場を分かっていない」という叫びはよく聞く。しかし、実際に社長が現場を訪れたとき、社員は率直に現場の苦労を伝えているだろうか?(お付きの人たちのプレッシャーもあるだろうが)社長の思っていることを先回りした「現場の声」になっていないだろうか?結果として「自分は現場のことはよくわかっている」という勘違い社長が生まれる。いや、生み出している。そして社員は飲み屋で社長の文句を言っている。なんだこれ?

おじさんや社長の無邪気な思い込みと女性や現場の気配りがあいまって、誰もが幸せでない状態を作ってしまっている。誰も悪くない。しかし、だから変われない。

差別、そして勘違いをなくすためにはまず本音で話す訓練をしないといけないのではないかと思う。結果として少なくとも一時的にわがまま社員の跋扈、逆セクハラ・パワハラが起きるかもしれない。そのリスクを取れるかどうか、社員は経営の本気度を見ている。