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「おもてなし」と「おたがいさま」(前)

東京オリンピックが始まった。TVもネットもオリンピックで盛り上がり、コロナのニュースの露出度は驚くほど下がった。その程度の話だったの?と思ってしまうほどだ。逆に、なぜあれほど反対機運が盛り上がったのだろう?

いろいろあるが、個人的には「安心、安全」なんて言ってしまったことが一番の原因ではないかと思う。どんなことでも「完璧」はありえないのに。ちょっとした問題に大騒ぎするマスコミと相まって、悪いニュースが1つ出るたびに我々が浮足立ってしまったのではないかと思うのだ。

「いろいろ問題はあるかもしれませんが、何とか頑張っていきましょう」と言うべきだったのだと思う。もちろん反発はある。だから「小さく嫌われる」ことを恐れて「現実を共有した上で目標に向けて力を合わせる」という形に持っていけなかった。今回もオペレーション自体は日本人の現場力で何とかやってしまうだろうと思う

その意味で、「安心、安全」は日本人のすごさと、その背景にある弱みを端的に示したように思われる。日本人の美徳と言われるものには、まじめで頑張る点と、「おもてなし」に代表される思いやりや他人への寛容さの両方があると思うのだが、完璧ばやりで前者が後者を侵食していないだろうか。全身を隠して他人の目をつきそうな日傘までさして横断歩道を歩く人をよけながら感じる。

「出させていただいたおかげです」というオリンピアンのコメントを聞くにつけ、語呂は悪いが「おたがいさま」と小泉夫人に言ってもらったらどうなっただろう、なんて妄想してしまう。