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転売がはびこる理由:Why are there so many arbitrage opportunities in Japan?

富良野だよりの最終回の前に一言。

安く買って高く売るのは商売の基本。専門用語でいうとarbitrage、平たく言えば転売。金融市場はもちろんだが、東インド会社もベネチアも貿易と言われるものはすべからくそうである。

大陸をまたがって利ざやを稼ぐのはまだわかる。特に昔は航海の大きなリスクがあった。それが狭い日本のあちこちで転売という言葉をみかける。「転売ヤー」はもはや日本語かもしれない。そして最近のニュースを騒がせているのはコメの転売。

希少性が高いもの、あるいは遠い外国から仕入れているものではない生活必需品がなぜ転売対象になるのか?要は「儲かるから」であり、逆に言えば「市場が不透明」でつけ込む余地が一杯だからである。

自分を含め、私達はどうしても「転売ヤー」を責めたくなる。ただ、おそらく彼・彼女らからすれば「道に千円札落ちてました。普通拾いますよね」感覚だろう。道徳に訴えるのもいいけれど、なぜ千円札が落ちていたのかを考えたほうがいい。

JAが全てとは言わないが、責任は大きいと思われる。農家の長男としては言い難いが、マスク氏であれば間違いなくJAを解体するだろうと思う(もしかしたら農林水産省も)。世の中の変化についていけている気がしない。JAの中には危機感を持っている人もたくさんいるだろうが、それが形にならなければ意味がない。

今回の米騒動はJAだけでなく、多くの(半)公共機関に同じ問いを突きつけているのではないだろうか?組合員や顧客を幸せにするのではなく、生き残ることが目的になっていないか?その結果、市場が歪められて千円札をばらまいていないかと。