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Al Tomitaさんとの再会

サンアントニオでAl Tomitaさんに1年ぶりに会った。私がUTSAに就職したのと同じタイミングで彼はサンアントに来てSushi Zushiを始めた。「日本人の先生が来た」というのでビジネスプランを持って会いに来てくれたのが始まりで、Sushi Zushi (A)(B)というケースも書いた。

当初のビジネスプランには「寿司のサブウェイ」を目指して、セルフ方式で10年後に全米1000店を目指すと書いてある。実際はいろいろあって「普通のレストラン」方式で一時はオースティンやダラスを含め10店近くまで広げた(ダラスには有名なNobuがあるが、わざわざSushi ZushiにLady GAGAが来てくれたというのが自慢だった)。

その潮目が変わったのが、UberEats、DoorDashといったデリバリー会社がレストラン業界を牛耳るようになって、売上の約30%を手数料で持っていくという利益破壊がおきた2019年。Tomitaさんは8割以上の株をレストランビジネスに特化しているファンドに売った。その後すぐコロナになり、いい時に売ったと胸をなで下ろしたという。

しかし、本当の問題はそこから始まった。Sushi Zushiの新しいオーナーのファンドは、バフェスタイルのレストランを多く抱えており、壊滅的な打撃を受けたばかりか、唯一出前機能を持ち踏ん張っていたSushi Zushiの利益を他の事業の赤字の穴埋め、そして個人の報酬として吸い上げることを始めたのである。

詳しくは係争中で出せないが(膨大な弁護士費用がかかり、結局金持ちが勝つんだとよくわかったという)、「なんであんな人達に売ってしまったんだろう」とTomitaさんはよく考える。「色々あって、バーンアウト状態だった」「楽をしたのが跳ね返っている」と言う。24年の間には色々あったが、「考えてみればオープンのときに(お金がなかったので)自分でタイルを張ったり天井の塗装を内装をしたときが一番楽しかった」そうである。

私といえばちょうどその頃はテニュアを取るために、肩書は変わったものの博士課程学生と同じような暮らし(平日は8時―24時、授業以外は研究一筋)をしていた。一番楽しかったかといえば?だが博士時代を入れた10年は、本当に必死だったし充実していた。「Offence is the best defense」という言葉が好きになったのもこの頃である。

いつの間にか2人共還暦を迎えて昔を懐かしがる年になった。しかし「挑戦」は忘れてはいけないことを改めて感じた再会だった。ケース続編(C)も来年には書こうかと思う。