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「平等」と「一律」は違う: What is “equality”?

ワクチンが大量に廃棄されたという記事を読んだ(AERA8月8日号)。だったらもっと先んじて3回目、4回目をどんどん打ったらよかったのにと思うのだが「初回接種を希望する方を昨年11月までに終わらせるという中で、それ以前に3回目を始めるのはどうなのか」と厚生省は言っていたらしい。

現時点で初回を打たない人はほとんどが希望していない人のはずで、明らかにおかしい。そこで出てくるのが「平等」という葵の印籠である。

お役所で使われる「平等」とは「ニーズや状況にかかわらず、すべて同じでなくてはならない」という考え方のように見える。それが本当の平等なのか?みんなを幸福にしているのか?

「差をつけない」ことが是とされている学校教育も同じ。その一方で「個性を伸ばす」なんて言っているから驚く。1つ1つにおいて同じでなくてはいけないと思い込んでいる。そうではなく、様々なチャンスを与えて、面白いこと、つまらないこと、出来ることもあれば、出来ないこともあること、つまり「違いを認める」ことこそが個人からみた「平等」ではないかと思う。ワクチンも教育も個別のニーズに対応したらいいのに、平等を一律と勘違いして(あるいは面倒くさいから)、多くの不幸が生まれている。

「新しいことをやって失敗したら責められるが、しないで問題が起きても大して責められない」ことは心理学の指摘する通り。しかし、今国にとっても組織にとっても必要なのは「新しいことをやって失敗する」ことではないのだろうか?もちろん私にとっても。