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「選択と集中」で言われないこと:The end of conglomerates?

日立が日立物流をファンドKKRに売却する意向であるという。日経新聞は選択と集中を進めてきた日立のグループ再編がほぼ完了すると報じた(2022/4/21)。オリンパスが祖業の顕微鏡など科学事業をファンドに売却検討中という記事も入ってきた(2022/5/9)。

なにもかもという「総合」というのがいけなかったのだ。デパート業界を見て見なさい。商社も、今はまだいいが…という話になるが、大きな見落としがある。ファンドは「選択と集中」なのか?

KKRの投資先を見てみると、自動車部品、工具だけでなく西友まである。そこに物流会社が加わる。日立金属を買ったベインキャピタルも同じ。こうしたファンドはまさにその価値が減損されるはずのコングロマリットではないのか。

上場していないとか、投資会社と事業会社は違うといった些末な議論は一旦脇に置く。日立が十分にその価値を実現できなかった事業を買って、バリューアップし、イグジットする(どこかに高く買ってもらう)ことが、ファンドにできるのはなぜかと素朴に思う。

本来経営学者はこうした疑問に切り込み、実証的にその構造を明らかにするべきだが、今の段階では問題提起だけ。シナジーという「可能性」に満足し、それを実現する努力よりも、天下り先だったり利益の吸い上げ先として扱ったのではないか?異質なビジネスから新たなものを生み出す大変さに音を上げたのかもしれない。いずれにせよ、ファンドに比べ経営力がなかったのだ(その意味では日立は自己評価が正しくできている)。

考えてみれば、セラミックから通信会社、そして航空会社まで稲盛和夫氏のやってきたことも「選択と集中」とはとても言えない。いつの間にか家電メーカーになったアイリスオーヤマも同じ。ドン・キホーテの例もある。異才を集めろ、ダイバーシティが大切だって、口先だけの会社はそのうち「集中と選択だ」なんて言い出すのでは?