「publish or perish」と形容されることの多い欧米ビジネススクールとその教員について、これでいいのかという話は50年以上前からある。トップジャーナルに査読を経て論文を載せることが求められる一方、経営者が読んでいるなんて聞いたことがないとか。科学的(rigorous)なのは大切だが、意味がある(relevant)のかとか。
実際、データが取りやすく過去の延長のあまり面白くない論文が通りやすい一方、イノベーティブな論文は査読で引っかかり易い(皮肉なことに若いレフリーほど細かいところにこだわる傾向がある)。だからテニュアを取るためにはイノベーティブなことをしないほうがいいというのが常識。私がLBSにジョブインタビューで呼ばれて博士論文をプレゼンしたときに「面白いけど、publishできるか?」をしつこく聞かれた記憶がある(実際はそれをもとに4本をpublishし、perishを免れた)。
こうした批判をAOMの目玉的なセッションでなんと2回にわたり堂々と展開したのがDartmouthのFinkelstein教授。戦略、特にトップマネジメントチームやM&Aの研究では優れた論文をいくつも発表している超有名教授である(M&Aの論文を彼の本に収録してもらったこともある)。彼は更に「ビジネススクールのコアカリキュラムはコモディティだ」「MBAの価値は教室の外にあるといわれている」「ビジネススクールはソーシャルクラブ化している」と辛らつかつ核心を突いた指摘をしている。セッションの最後には「私は教授を目指してPh.D.プログラムに入ったばかりだけれど、このまま続けていいのでしょうか?」なんていう質問も出たほどだ。
悪いことはいくらでもあげられる。ただ、こうしたゲームを戦ってきた経験から言えば、rigorの訓練をすることで本質に向けてより深い洞察ができるようになったのは間違いない。そして、同じことを教えるからこそ1人1人の先生の特長を出していかなくてはいけないということではないか。KBSはどうかと思う人は、ぜひ私のクラスを取ってみてください。いいか悪いかはともかく、学生の反応はアメリカ時代から「大好き」か「大嫌い」かのどちらかです。