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報道の「基準」とダイバーシティ

何が報道され、何がされないか?これは古くて新しい話とは思うけど、コロナが騒がれる中で、改めてテレビ局は何を「基準」に報道しているのだろうと考えさせられた。

コメンテーターを選ぶ基準はもちろん、例えば日本の人口の2/3にも満たないフランスで1日2万人の感染者が出ても医療崩壊していないのか、なんていう疑問に答えるニュースは聞いたことがない。「伝えるべき」「知るべき」情報ではなく、「伝えやすい」「わかりやすい」情報だけが氾濫しているように感じる。だからどのチャンネルのニュースもほとんど同じ。

「様々な意見」といえば聞こえはいいが、素人コメンテーターの井戸端会議はダイバーシティではなくノイズでしかない。

こういう基準で情報を取捨選択しています、全体像を示してここの話をしています、なんてことを求めるのは無理なんだろうか?何言ってんの、テレビの基準は面白さだけですよ、ってことなら、うっかり期待した私がバカでした。

ちなみに、私の意見の基準は(お分かりの方も多いかもしれませんが)、よく言えば信念、悪く言えば思い込みです。ただ、海外のソースから情報をインプットすることだけは毎日心がけています。