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「知らなかった」という言い訳

「私が問題を知っていればすぐに止めていた」

こう言ったのはどこかの会長でも教育委員会でもありません。737MAX問題でアメリカ国会に呼ばれたボーイングのCEOです (WSJ, 2019/10/30)。

先日「正しい責任の取り方」をテーマにしたAbemaTVに呼ばれてコメントをするうちに、なんとなく持っていた違和感がわかった気がします。そこではもう少し卑近な話題、神戸の同僚いじめに関しての校長の発言だったり、政治家の情報漏洩の話だったりしたわけですが、「知らなかった」はあちこちで繰り返されています。

本人的には「知らなかったのだから、手の施しようがない」「部下が勝手にやった」という言い訳なのでしょうが、そもそも組織の長がなぜそんな重大なことを知らなかったのか?という根本的な問題は無視されています。結局「知らなかった」というのは「私は仕事をしていませんでした」という自白であり、「自分の役割、責任を自覚していない」、つまり長になってはいけなかったことだと思うのです。

学校レベルの小さな組織では論外ですが、多くの部下を持つリーダーとしてどこまで「知る」ことが必要か、どうすれば「知る」ことができるのかは根本的な問いです。社員の不祥事が起きると急にあたふたしてそれから情報を集める組織もあれば、毎朝会社の入り口近くの喫茶店に座って出社する社員の様子を伺う経営者もいるのです。

全く関係ありませんが、今年の委員長杯は11月10日(日)です。「知らなかった」なんて言わないでね。