BLOG

「迷い」の本質:病院のベッドで考えたこと(2/3)

今回の手術は結構大きなもので、東京医大をご紹介くださったかかりつけの病院の先生も驚かれたほどでした。振り返ってみると、これまでも人生で3回、まわりから「それをするか!」と言われたことがあります。

1つ目は就職。バブルのはしりで大手企業から多くのお誘いがあったのにCDIというできたばかりのコンサルティング会社に、しかもBCGという大手の内定を断ってまで行ったこと。

2つ目は24歳での結婚。

3つ目は「来年はパートナー」と言われながら、CDIをやめて(マンションも損切り)家族4人で再渡米しTexas A&M大学の博士課程に入ったこと。生後8週間だった次男は今年大学を卒業しました。

今回を含めいずれも家内には多大な負担を強いてもう少しやりようはあったとは思いますが、決断自体に全く後悔はしていません(日々の生活は後悔満載です)。そして、いずれも「迷いに迷った末にに決めた」のではなく、「どう考えてもそうだよね」。Why?と聞かれたら、Why not?、あとはやるだけという感じでした。

重大な決断って、結構答えは心のどこかに出ていて、それを認めるのが怖いだけなのかなあと思うのでした。「迷う」とは最適解を得られないでいるのではなく怖さを振り切れないことだとすれば、決断に必要なのは理屈や証拠ではなく勇気、鈍感力、勢いのいずれかではないでしょうか?

おへその部分を切ったので、出べそになってしまうかもだそうです(泣)。