BLOG

ゴーン、舛岡富士雄、中村修二、そして本庶佑各氏の共通点

帝国ホテル大阪で毎夏開かれるKBS恒例のトップセミナーに先週出講し、「ゴーン問題」を受講者の方々(主に大企業の部長、執行役員レベル)と議論をしてきました。何人もの日本人CEOができなかった日産の建て直しを成功させ、企業価値を大きく上げたゴーン前CEOがなぜ内部から「刺される」ようなことになったのか?犯罪かどうかはともかく、これは結局「てがら問題」だと思うのです。

「日産の救世主なのだからこれくらいは当然だろう」「GMのCEOの給料を見てみろ…」そう考えていたに違いないゴーン前CEOを、日産の役員、社員の多くは「借りは返した」「日本にもいないで好き勝手している」と見ていたと思うのです。

どちらにも言い分はあります。しかし、一方から見れば相手の言い分はばかげている。そして、対立が深まるにつれて、相手のあら捜し、過去の遺恨が蒸し返され、ますます対立が深まる…

毎年3月にKBS学生の引率でシリコンバレーに行っています。グーグル本社の近くにあるComputer History Museumに大きく飾られている(たしか)唯一の日本人が東芝時代にフラッシュメモリーを開発した舛岡富士雄氏です。彼は、その功績が十分に認められていないと東芝を提訴しました。同様のことは青色ダイオードの中村氏、そして最近では小野薬品を訴えた本庶佑氏もそうです。皆さんの身の回りでも「俺の手柄を上司が横取りした」「思い上がって自分でやったつもりになっている」という上司、部下もいないでしょうか?

ライバルならともかく、パートナー同士のはずが、なぜそうなるのか?

そこにあるのは、2つの異なった「情報の非対称性」です(経済学では売手と買手の間の情報量の違いをいうのですが、ここでは「同じ情報の解釈の違い」という意味で使います)。

1つは、当然ですが「貢献度」の評価の違い。自分の貢献によって何百億も会社は儲けたと考える個人と、そもそも投資や他の要素があって成功したのだという会社側の解釈の違い。そして、もうひとつは「賞味期限」の違いです。貢献したほうはそれがずっと頭に残っている一方、会社あるいは貢献されたほうの記憶はあっという間に陳腐化します。「過去の成功体験」とはそういうものです。その意味で、Give & Takeなんて現実にはありません。Give, Give, Give, & Takeであれば御の字です。

2019年8月号のダイヤモンドハーバードレビューには「自発的に同僚を助けてはいけない」というショッキングな論文が掲載されています。「てがら問題」そしてその根本にある「情報の非対称性」は思ったよりあちこちにありますし、「たいしたことない」と思っているからこそ足をすくわれることが多いのではないでしょうか?吉本問題に限らず。