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「ゴーンショック」から学ぶこと

「日産自動車2002年」というゴーン改革を描いたハーバードのケースが私は大好きで、これまで多くのクラスや幹部研修で使ってきました。2012年には慶應ビジネススクールに来てくださったこともあり、今回の「ゴーンショック」は青天の霹靂です。

西川社長の会見を聞いて、そして報道を聞くにつけ「特定の個人に依存しないサステナブルな形」とは何かと考えざるを得ません。「ガバナンスだけでなく事業運営においても」というのですから、なおさらです。「合意を重んじ、だれも責任を取らず、何も決まらず実行されない」といわれた以前の日産に戻るのではないとすると、「抜本的かつ速やかな対応」とは何をイメージされているのでしょう?

思うに「個人に依存」とは、「ゴーンに任せておけばいい」と周りが当事者意識を失ったことではないでしょうか(実際日産の元幹部もテレビで同じようなことを言っていました)?言い換えれば、「ゴーンに権力が集中したから問題が起きた」だけでなく、それを求め、容認した経営陣や株主がいるのです。ルノーのCEOでもあったことがいけないというのはその通りかもしれないですが、彼が兼任することが発表された2005年4月末の日産の株価を調べてみるとほとんど変化はありません。誰も全く問題視していなかったのです。

社員の「当事者意識」はまさにゴーン改革の最大の難所だったのですが、成功した後に再び失われてしまったのは皮肉なことです。「当事者意識」を取り戻すことは、端的に言えば「上にたてつく」ことであり、合意を目指そうとすればいつまでたっても決まらないかもしれません(Amazonのリーダーシッププリンシプル13です)。リーダーの仕事が万人受けしない施策を断行することであるとすれば、日産の意思決定・実行プロセスが反対に振れないように祈るばかりです。ちなみに、11月20付け日本経済新聞朝刊のように「長期君臨 統治にゆがみ」という論調も見ますが、長期政権だからこそ統治が必要なのではないのでしょうか?ガバナンスの本質をはずした議論です(ちなみに、この見出しは日吉にあった13版のもので、東京などの最終版では「統治君臨 社内に不満」と修正されています。ちゃんとわかった人もいるんですね)。

「ゴーンショック」のおかげで、また「外人はダメだ」的な声が広がりそうです。「ダイバーシティ推進」と言った同じ口がそういうのです。それはともかく、私が邪推するのは「日本は特殊」「こんなことは陰でみんなやっている」と誰かがゴーン氏へしたささやきです。彼の犯罪(まだ決まったわけではありませんが)を擁護するつもりは全くありません。そうではなく、私たちが学ばなくてはならないのは、文化の違う国に行って「現地ではみんなこうしています」というささやきに耐えられる「自らの基準を信じる力」ではないでしょうか。

ダイバーシティにしてもガバナンスにしても経営にしても、誰かが言ったことをうのみにするのではなく、「自分の考え」を持ち、行動する「当事者意識」が原点になくてはならないのだと改めて思います。