1月以上に及ぶプロバンスでのvisiting professor、その後パリで学会を終え、St. Petersburgに寄って先日帰国しました。ヨーロッパでいろいろな人を見るにつけ、家内と話していたのは「楽しそうな顔をしている日本人(特に観光客の主力である中高年)が少ない」ことでした。普段東京にいると感じませんが、「いい顔をしている大人」はフランスのほうが圧倒的に多い。
なぜだろう、と思う一方で気がついたのは「感動を届けたい」「笑顔を作りたい」といったテレビなどで聞くコメントです。考えてみれば、感動や笑顔って特別なことがないと生まれないものなのでしょうか?身の回りにはないのでしょうか?(『羊と鋼の森』にもそんなはなしがあったような)
現状に満足して変えられないのはダメです。ただ、現状をすべて否定したり、不満ばかり言っているのはもっと悪い。それは思い込みに左右されて「頭」で決めつけている証拠です。私も含め、いつの間にか自分の周り、日常にあることがもたらす感動や喜びに鈍感になっているのではないか、数字や理屈(最近では教養?)だけが先行して、体や心の持つ「感じる力」が弱まっているのではないか?ビジネスにおいても「共感力(empathy)」の重要性が叫ばれて久しいですが、自分のことが感じられないのに、人の気持ちが感じられるのでしょうか?
「何をしたいのかわからない」というのも、根は同じでしょう。「今」の自分(とその周り)をよく見、よく感じることなしに、将来を考えてもあまり意味はないと思うのです。数字や理屈先行のビジネススクールの教員としては、重い課題です。
ちなみに、St. Petersburgでは後半に家内が体調を崩し、2度も病院に行く羽目になってしまいました。冷や汗の連続でしたが、予定をいろいろ変えても無事帰ってこられたのはいろいろな皆さんのおかげです。日本で早速かかりつけの医師に診てもらい、ロシアで言われたこととほぼ同じであることがわかると、家内は「プーチン大統領と安倍首相が合意した」と言って喜んでいました。