3月に行動経済学の中興の祖カーネマン教授が亡くなった。彼は2002年にノーベル経済学賞をもらっているが、そのはるか前1978年に同じくノーベル賞を取ってこの道の先鞭をつけたのはサイモン教授である。
彼の功績はいろいろあるが、その1つに「satisficing」というコンセプトがある。伝統的経済学では人間はすべての情報を使って利益の最大化(maximizing)を目指すが、実際には何がmaxかわからない。だから「まあこれくらいでいいだろう」という満足点を基準にして意思決定をするという指摘である。
完璧主義者として、あるいはケチだから、コスパやタイパを追求するという話はよく聞く。ただ、収穫量逓減の法則(diminishing return)が示すように、ある程度以上やっても大した効果は上がらない。追加のエネルギーがリターンを上回ることも多いし、そこで節約したなにがしを一体何に使っているのか?と言われると心もとなくないだろうか。デカルトが「中庸」を重視するゆえんである。
そして、一番の問題は、測りやすい分母ばかりに目が行って、本来の効能や価値、つまり分子を軽視することだろう。分母を減らしたら分子に影響がないのか?人に投資をするのは大切だが、無駄なところにしていないか?とか。
毎日の買い物や食事、生活も同じである。分母だけ見てsatisficingしてないか?分子は感じるしかない事が多いが、鈍感な人もいればそうでない人もいる。数字よりも、こちらのほうが遥かに難しい。